人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる。
ニーチェ
無意味な人生を愛せるか
「私の思想は、100年後に理解されるであろう」
と、ドイツの哲学者・ニーチェは予言した。
彼が没して100年たった今日の思想に、ニーチェは甚大な影響を与えている。
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1844年、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、北ドイツの牧師の家に生まれた。4歳で父親を亡くし、翌年、幼い弟まで失ってしまう。
僕は幼少のときすでにたいへん多くの悲哀と悲嘆を目撃し、そのためふつうの子どもとまったく同じようには快活でもわんぱくでもありませんでした (『僕の略歴』)
と記しているように、以来、瞑想的な性格を帯びていく。
大学では古代文献学に取り組み、懸賞論文で1等に入選。この声価により、ニーチェは異例の抜擢を受け、24歳でバーゼル大学の助教授として招かれ、翌年には正教授となる。
周囲は喜んだが、彼自身は、「人生の真の、いや切実な問題」に無関心な文献学者の仲間入りをするのを是としなかった。教鞭を執りながら、人生の意義を求めて、研究と著作活動に没頭したのである。
あまりに激しく活動したため、幼いころから病弱だった彼は、健康を著しく害してしまう。34歳の若さで、教授職を退かざるをえなくなった。
その後、療養のために自然豊かな土地を漂泊しながら、『曙光』『悦ばしき智恵』などの著書を、次々に出版していく。
1900年頃ドイツ ザクセン州 (Wikipedia)
生きる目的あるはず
ニーチェは、人生の目的を必死に求めていた。しかし、どれだけ考えても、見つからない。
38歳から40歳にかけて著した『ツァラトゥストラ』で、彼は、
人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる
と言っている。人生に本当に求めるに値するものがあるのか、考えれば考えるほど、一切は無意味に思えてくるからだろう。それでもなお、ニーチェは、人生には必ず崇高な目的があるはずだと確信していた。
苦悩の末、出した答えは、「運命愛」の思想だった。
「人生そのものには、何の意味もない。それは、醜悪で、不気味で、誤謬で、虚偽で、無である」
だが、「無意味な生をそのまま愛し、受け入れよ」、「運命を愛せ」と説いたのである。
果たして、そこに救いはあったのか。
仏教への称賛
世人にこの思想を知らしめようとさらに著作に励むうち、彼の精神は、いつしか崩壊に向かっていた。
44歳の正月、とうとうトリノの広場で昏倒してしまう。2日間眠り続け、目覚めた時には、もはや正気ではなかった。むやみに歌ったり、通行人に、
「私は神だ。こんなふうに変装しているのだ」
などと放言したという。かくて廃人状態のまま11年を過ごし、55年の生涯を閉じている。
43歳の時、彼は、
仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です (『アンチクリスト』)
と指摘している。さらに、
ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教
とか、
人々を平和でほがらかな世界へと連れていき、精神的にも肉体的にも健康にさせる
とも書いている。だが、
ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟していない
と考えていたのだった。
生涯かけて人生の目的を求めたニーチェがもし、真実の仏教に巡り遇っていたら、現代の哲学界は一変していたもしれない。
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神は死せり/ニーチェ
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