不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ
アルベール・カミュ
カミュの生い立ちは、悲しみに満ちている。
「不条理の哲学」で知られるカミュは、1913年、アルジェリア(北アフリカ)に生を受けた。翌年、第1次世界大戦で父を失う。残された家族には貧しい生活が待っていた。母・カトリーヌは、実家に身を寄せて働き始め、カミュも小学校を出れば、仕事に就くはずであった。
だが、彼の才能を見抜いた教師・ジェルマンは、中学・高校への進学を勧めた。奨学生として、アルジェ中高等学校での生活が始まった。
周りは、裕福な家庭に生まれたエリートばかり。貧民街に育った彼は、なまりが強く、話題も合わない屈辱の日々を送る。スポーツだけが、唯一の慰めだった。
抹殺された希望
ところが、17歳のカミュを悲劇が襲う。フットボールの試合中、突然、カミュは肩から崩れ落ち、むせぶ彼の口からは、おびただしい血が流れた。当時、死病とされた結核である。医者の表情からそれと察することができた。死を待つだけの時間、彼はすべての希望を抹殺された。
そんな彼を見舞いに訪れた哲学教師・グルニエが差し出したのは、1冊の本だった。流行作家・リショーの小説、『苦悩』である。彼は絶望の底で、むさぼるように読んだ。そして、苦悩をいやす言葉の力を発見するのである。
一命を取り留め、アルジェ大学で文学と哲学を学んだ彼は、作家になる決心を固めた。
希望に燃えるカミュの前に、シモーヌという美しい女性が現れた。彼女には婚約者がいたが2人は恋に落ち、結ばれた。だが2年後、彼はふとしたことで、彼女がひどい麻薬中毒であることを知る。
「うそだ……」。打ちのめされる彼を捨て、彼女は行方をくらませた。
なぞの事故死
その後の彼は、政治活動に没頭する。だがその間も、人生は生きるに値するのか、彼は真剣な解答を迫られた。
28歳で発表した、『異邦人』はすさまじい反響を呼び、カミュは決定的な名声を得る。この『異邦人』を解説したものが、『シジフォスの神話』である。その冒頭は、
真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである(シジフォスの神話)
果たして、人生は生きるに値するか。なぜ、どんなに苦しくても自殺してはいけないのか。人生の目的は何か。
不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ(シジフォスの神話)
人間の奥底には、生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が、激しく鳴り響いている、とカミュは言う。どうしても生きる目的を知りたい、いや知らなかったら生きていけないのが人間なのだ。
カミュの思想は、当時のフランスに一大センセーションを巻き起こし、43歳の若さでノーベル文学賞に輝いた。だが2年後、なぞの自動車事故で、彼は悲劇の幕を閉じる。
生きる意味を探求したカミュの、それが最期であった。
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オウム事件の本質/松本智津夫被告への死刑判決より
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