ルキウス・アナエウス・セネカ
Lucius Annaeus Seneca,BC.1ごろ-AD.65

古代ローマの思想家。暴君ネロの圧政に加担せざるをえなくなり、最期は自害させられる。一方で、理財術にたけており、一説に高利貸しをしていたともいわれる。代表的著作は、『人生の短さについて』
『ルキリウスへの手紙』など。(写真はWikipediaより)

ムダな日々をすごしてきた。求めるものが間違っていた。才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、わが身にはよろこびも満足もない。なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。後悔のため息ばかりである──。

セネカ

「こんなはずではなかった」
真っ暗な後生に驚く

古代ローマ帝政期──セネカの生きた時代である。共和政でありながら、事実上、元首を名乗る皇帝が権力を掌握し、その機嫌いかんで、人の生死さえ左右された。特に、5代皇帝・ネロは、近親者を殺害し、無辜の大衆を迫害した暴君として、悪名高い。
ネロの家庭教師を務めた哲人・セネカも、そんな時代の波に翻弄された一人だった。

 紀元前1年ごろ、ローマの属州だったヒスパーニア(現・スペイン)のコルドバで、裕福な騎士身分の家に誕生した。ごく小さいうちに、ローマに移る。

 初め文法家に学び、次に雄弁術を習った。複数の哲学者にも師事している。いつも一番に入室し、最後に退室して、散歩中にも先生と対話する熱心な生徒だった。

 30代で財務官の地位を得、40歳前後には、弁論術でも名をはせるようになる。その弁舌の巧みさは、時の皇帝が嫉妬し、理不尽にも抹殺しようと考えたほどだった。
「セネカは病気で、長くない」
と皇帝に耳打ちした者があり、危うく難を逃れたという。

 しかし、次の皇帝の時、女性の権力争いに巻き込まれてしまう。皇后・メッサリーナ
は、その座を狙うリヴィラを排除するため、不義で告発。その相手として、セネカにもぬれぎぬを着せ、地中海のコルシカ島に流したのである。

 7年後、今度はメッサリーナが姦通罪で処刑され、翌年、アグリッピーナという女性が後釜に納まった。
  彼女は自分の連れ子・ネロを次期皇帝にし、政権をほしいままにする野心に燃えていた。セネカの学識を利用しようと考えてローマに呼び戻し、法務官の職を与え、ネロの家庭教師に任命する。

生涯懸けて学ぶ問題

 54年、ネロが16歳で皇帝になると、執政官ブッルスとともに指南役に就く。ブッルスは軍事面から、セネカは文治面から、若き皇帝を補佐し、「ネロの5年間」といわれる善政を行わせた。
  このころ、著した『人生の短さについて』にセネカは、次のように書いている。

「生きること、これだけは一生涯かけて学ばねばならぬことです」(*1)

それは、多くの賢人が全生命を懸けても知りえなかった人生の大事であり、その解答を知るためにこそ、時間を費やすべきだと記し、

「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」(*2)

と警告する。

 ところがセネカ本人は、権益を求め、皇帝から莫大な財産を与えられていた。別荘、領地などの巨富は、帝国一と目されるまでになった。
「地方の騎士階級出の者がなぜ、権勢を誇っているのか」
  前帝時代、甘い汁を吸っていた貴族たちは嫉妬し、禁欲主義のストア派の哲学者だと自称していたセネカを、
「話すことと、実際の生活とは、別々ではないか」
と批判した。セネカは著書で、「人間はこうあるべきだ」と言っているのであって、「自分がこうだ」と言っているのではない、と弁解している。

ネロ暴走と、引退

 一方で、息子・ネロへのアグリッピーナの影響力は弱まっていた。焦った彼女は、
「統治権を受け継ぐのは、前帝の実子であるブリタンニクスこそふさわしい」
と、皇帝を脅した。

 驚いたネロは、ブリタンニクスを毒殺し、果ては、実の母親まで暗殺してしまう。
  セネカをねたむ者たちは、暴走を始めたネロに、
「彼は皇帝の道楽に公然と嫌悪の情を示し、皇帝の戦車の操術や歌声を嘲笑している」
などと、陰口を吹き込んだ。ともに皇帝を善導してきたブッルスの死も影響し、ネロは、次第にセネカを疎んじるようになる。

「もはや自分の出る幕でない」
  セネカは察知した。皇帝に、財産の返還と引退を申し出る。表向きは拒まれたが、以後、体調や哲学の研究を口実に、家に閉じこもるようになった。

人間は悲惨な存在なのか

 還暦を過ぎたセネカは、皇帝や貴族たちの嫉妬を買わぬ、「もっとも安全な避難場所」(*3)、哲学の思索と執筆に没頭していく。

『ルキリウスへの手紙』には、自らの人生への後悔と、そこから見いだした教訓が随所にしたためられている。

「安らかな人生をのぞむならば、全力で幸運なほどこし物の誘惑からのがれなさい。それらは幻影で誘いながら、わたしたちを悲惨な状態におとすのだから」

「出世にかんしては、たとえ望んでいても、それ以上越えてはならないという限度をもうけるべきだ。虚偽の資産にすぎないものには、きっぱりと別れをつげよう。まだ望むだけなら、実際に所有するよりはましだ」

「どうしてわたしたちはむやみに望んでばかりいるのだろうか。どうして人間の弱さを忘れて、見せかけにすぎない富の蓄積に奔走するのだろうか。(中略)『今日が最後だ、いやまだそうでないかもしれない、しかしその日が近いことは確かだ』と言いつつ」

「人間は死の恐怖と生の苦痛とのはざまを漂流している悲惨な存在である。生きることを嫌悪しつつ、死ぬこともできないでいるのだ」

 ネロによる毒殺を恐れ、晩年は、料理人の手による食事を取らず、地になる果実のみを食し、水も清流に行って飲むばかりだったという。
  しかし、そんな用心の甲斐なく、皇帝暗殺計画に加担した容疑をかけられ、66歳ごろ、ネロから死を命じられた。セネカは生前、言っている。

 ムダな日々をすごしてきた。求めるものが間違っていた。才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、わが身にはよろこびも満足もない。なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。後悔のため息ばかりであると──。

セネカの言葉

先延ばしをしているうちに人生は逃げ去る
『ルキリウスへの手紙/モラル通信』
(セネカ著・塚谷肇訳)

時間が貴重であることを自覚し、一日の価値をしっかりと見積もり、人生の歩みが毎日刻々と死に向かっていることを意識して生きている人間を、きみは一人でも知っているだろうか?(中略)
自分の時間をしっかりと集約し、現在の瞬間を百パーセント自分のものにして生きるのだ。翌日まかせやあとまわしは厳禁だ。先延ばしをしているうちに人生はどんどん逃げ去ってしまうのだから。

※1『ローマの哲人 セネカの言葉』(中野孝次著)
※2『ローマの賢者セネカの智恵──「人生の使い方」の教訓』(谷沢永一著)
※3『ルキリウスへの手紙/モラル通信』(セネカ著、塚谷肇訳)

 

 

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「seneca](スタンフォード哲学百科事典より)

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