セーレン・オービエ・
キェルケゴール
Soren Aabye Kierkegaard,1813-1855

デンマークの思想家。ヘーゲル哲学の影響を受けるが、その思弁的合理主義に反対して主観主義の立場をとった。また、人間実存の真理は「あれかこれか」の選択、融和しがたい対立にあると説き、実存哲学の先駆者とされる。著「あれかこれか」「不安の概念」「死に至る病」など。(大辞泉より)

自分自身を忘れるという、もっとも危険なことが世間では、いとも簡単になされている

セーレン・キルケゴール

冬の夜更け、彼はよく、明かりをつけた幾つかの部屋を歩き回っていた。どの部屋にもインクとペンが用意され、考えが浮かぶと、歩みを止めて書きつけたという。

「世界中で最も多量のインクを使った人」といわれるセーレン・キルケゴールは、人生の根本問題に、深刻に取り組んだ哲学者だった。

1813年、キルケゴールは7人きょうだいの末子として、デンマークの首都・コペンハーゲンに生まれた。22になるまでに、5人の兄や姉が死に、母親も他界する。家庭は暗い空気に包まれた。

父の勧めで彼は、コペンハーゲンの北方、自然豊かな北シェランへ、約2ヵ月の旅に出る。そこで、生涯の核心となる思想を抱いた。「ギーレライエの手記」と呼ばれる日記が残っている。

私に欠けているのは、私は何をなすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ。(略)
私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが必要なのだ。いわゆる客観的真理などをさがし出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。哲学者たちのうちたてた諸体系をあれこれと研究し、求められればそれについて評論を書き、それぞれの体系内に見られる不整合な点を指摘しえたにしたところで、何の役に立とう


ヘーゲル(Wikipedia)

このころ、デンマークでは、ヘーゲルらの哲学が流行していた。そこには、いかめしい体系はあっても、肝心な自己の生き方が抜け落ちている。キルケゴールは、彼らの哲学を拒絶し、「自分がそのために生き、そのために死ねる真理」を探そう、と思ったのだ。

そんな彼の前に現れたのが、レギーネ・オルセンだった。たちまち、彼女の美貌に魅了され、27歳で婚約する。だが、約1年後、約束を一方的に破棄している。

レギーネに出会って、彼は〈この世に舞い戻っ〉た。しかし、恋する人を得ても、大事な問題は未解決のまま。

たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、自己自身を見失ったならば、なんの益があろうか

と、当時の日記に書いている。

実存への3段階

キルケゴールは以後、執筆活動に没頭していく。『あれか―――これか』『哲学的断片』『人生行路の諸段階』などを次々と出版。人間の真の生き方に到達する道を、3段階に分けて考え、記している。

第1は、欲望のままに快楽を追う「美的段階」である。しかし、有限な人間に無限の欲は満たせない。一時満たされても、やがて倦怠やむなしさに襲われ、絶望してしまう。

快楽では真の幸福は得られぬと気づいた人は、良心に目覚め、欲を抑え、道徳的に生きようとする。第2の「倫理的段階」だ。

しかし、不完全な人間に、完全な善は遂行できない。真剣に善に向かうと、良心の働きが鋭敏になり、これまで見過ごしてきた自分の悪が我慢できなくなる。真面目になるほど罪悪感が深まり、またもや絶望するほかないのである。

では、この絶望から、どうしたら救われるのか。

人間を超越した絶対者の力によるしかない、と彼は考えた。第3の「宗教的段階」である。有限な人間の内側を探しても、無限の絶対者は存在しない。だから、救済は信仰の決定的飛躍によってのみ得られると確信する。

西欧で生まれ育ったキルケゴールにとって、「信仰」とは、キリスト教であった。

彼は、聖書の記述を疑わないように努力した。例え話や冗談として扱わず、まともに受け止めようとしたのである。

比喩や象徴的に解釈する周囲の者を容赦なく非難し、腐敗した教会へも、妥協を許さぬ攻撃を加え、自身は、熱烈に「信仰」を探し求めていく。


デンマークの首都・コペンハーゲン(Wikipedia)

絶望からの解放求めて

しかし彼は最後まで、キリスト教を信じ切れなかった。

著作を偽名で出版し、真の信仰者でない自分が、キリスト教の書物を、

わたし自身の名で出版する権利などあるはずがない

と日記につづった。そして、

キリスト教はどこにもない

と絶望の叫びを残している。

教会攻撃の最中、彼は路上で昏倒する。病院に運び込まれた40日後、牧師を拒んだまま、42歳の生涯を閉じたのだった。真の救済を宗教に求めた彼が、死の床で友人に告げた言葉は、

僕は祈る。死にのぞんで、絶望から解放させてもらえるように

であったという。

キルケゴールは生前、自分自身を忘れるという、もっとも危険なことが世間では、いとも簡単になされていると、『死に至る病』で警告した。続けて、

どのような喪失にしろ、これほど平静にすまされることはないもので、ほかのものなら何を喪失しても、腕1本、足1本、金5ターレル、妻、そのほか何を失っても、ひとはすぐに気づくのである

と書いている。

自己を知る重要性を認識しながらも、彼にそれを知ることは不可能だった。

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 死を見つめる―人生の出発点/キルケゴール

親鸞会のゆず