夏目漱石
Natsume Soseki,
1867-1916

小説家・英文学者。江戸の生まれ。本名、金之助。英国留学後、教職を辞して朝日新聞の専属作家となった。自然主義に対立し、心理的手法で近代人の孤独やエゴイズムを追求、晩年は「則天去私」の境地を求めた。日本近代文学の代表的作家。小説「吾輩(わがはい)は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「行人」「こころ」「道草」「明暗」など。(大辞泉)

人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない

夏目漱石

明治維新前夜の年・慶応3年、漱石(本名・金之助)は、江戸(東京都)に生まれた。

大学卒業後、26歳で教師になったが、「これは自分の本領ではない」との思いが去らなかった。

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない

と、後に講演(『私の個人主義』)で、当時の心境を語っている。

29歳で結婚、英語研究のため、4年後には文部省の留学生として単身、英国に渡った。しかし、留学費の不足と成果への圧迫感で神経症に陥ってしまう。

帰国した彼を待っていたのは、苦しい生活だった。留学中、彼の妻子の面倒を見ていた親戚が失職し、家族は夫の着古しを縫い直して身にまとうほど、貧しく暮らしていたのである。

一高(東大教養学部の前身)と東京帝国大学に講師として迎えられたが、生活のため、授業に追い立てられ、したい研究もできない。さらに、兄や縁を切ったはずの養父までが、「洋行帰りなら金があるはず」と思い込み、入れ替わり立ち替わり、金の無心にやってくるのだった。

教師から人気作家に

「不愉快だから、どうかして好い心持ちになりたい」

句作を通じて知り合った高浜虚子の勧めに従い、漱石は37歳で初めて小説を著す。これが『吾輩は猫である』だった。句誌『ホトトギス』に連載されるや、爆発的な人気を博す。

小説に生きがいを見いだした漱石は、40歳で教職を辞し、朝日新聞社に入社する。連載のタイトルが『虞美人草』と予告されると、「虞美人草浴衣」が売り出され、新聞の販売員が、「漱石のぐびじんそ〜う!」と言って売り歩くほど、注目を集めた。以来、『三四郎』『それから』など、次々と小説を発表していく。

漱石はやはり、苦しんでいた。子だくさんの彼の暮らしは、はたが思うほど楽ではなかった。

自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、まさにこの相撲のごとく苦しいものである

と、随筆『思い出す事など』に記している。

本当の苦悶はしかし、もっと深いところにあった。45歳で書いた小説『行人』に、その胸中がうかがえる。

「自分のしている事が、自分の目的になっていない程苦しい事はない」と兄さんは云います。
「目的でなくっても方便になれば好いじゃないか」と私が云います。
「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。(略)
兄さんは落ち付いて寐ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走ると云います。既に走け出した以上、何処まで行っても止まれないと云います

随筆『硝子戸の中』に、

今迄書いた事が全く無意味のように思われ出した

とあるように、創作も生きる目的ではなく、目的が分からないから手段にさえならぬと感じ、苦しんでいたのだろう。

多くの弟子に囲まれ、「則天去私」を口にするようになっても、理想と懸け離れた自己を自覚せずにおれなかった。晩年、ある禅僧への手紙に、

私は50(数え年)になってはじめて道に志す事に気のついた愚物です。その道がいつ手に入るだろうと考えると、大変な距離があるように思われてびっくりしています

と告白している。

「死ぬと困るから……」

大正5年、持病の胃潰瘍を押して、友人の結婚披露宴に出た漱石は、翌日から死の床に就いた。いよいよ臨終となった時、寝間着の胸をはだけ、

「ここに水をかけてくれ!死ぬと困るから……」

と叫んで意識を失い、そのまま息を引き取っている。享年49歳。執筆中の『明暗』は、未完となった。

英国留学中に妻にしたためた言葉、

人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない

は、生涯を通じての実感だったに違いない。

 

漱石は、親鸞聖人を尊敬していた。46歳の時、一高での講演で、聖人の肉食妻帯に触れて語っている。

親鸞上人に初めから非常な思想が有り、非常な力が有り、非常な強い根底の有る思想を持たなければ、あれ程の大改革は出来ない

蔵書には、1084ページに及ぶ『真宗聖典』があり、かなり読んだ形跡もあった。夏目家は代々真宗門徒だったのである。しかし、1歳で五女・ひな子が急死した時、通夜僧が、

「お寺では何でもちょうだいいたします。遺品をご寄進なさいます方もございます」

などと、強欲で下品な態度をとったため、漱石は失望したと伝えられる。

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 自殺か、狂気か、宗教か・・・/夏目漱石
 親鸞聖人の肉食妻帯―その信念の根底には/夏目漱石

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