ブレーズ・パスカル
Blaise Pascal,1623-1662

フランスの数学者・物理学者・思想家。円錐曲線における定理の発見、計算器の考案、トリチェリの真空実験の追試の成功に基づくパスカルの原理の発見や、確率論の創始など、多くの科学的業績を残した。(大辞泉)

われわれは断崖(危険)が見えないように、何か目かくしをして平気でそのなかへ飛びこむ

ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカルは1623年、フランスに生まれた。幼いころから図形遊びが好きで、だれにも教わらずに12歳でユークリッドの定理(三角形の内角の和は180度)にたどり着く。20代で計算機を発明し、また、種々の実験によって、「自然界に真空は存在しない」という物理学の常識を覆している。

むなしさの原因

20代後半には社交生活にも興味を持ち、娯楽にもふけった。

30を過ぎてしかし、学問上の栄光や社交界の快楽にむなしさを覚え始める。この虚無感はどこから来るのか。

この世に真の堅固な満足はなく、われわれのあらゆる楽しみはむなしいものにすぎず、われわれの不幸は無限であり、そしてついに、われわれを一刻一刻脅かしている死が、わずかの歳月の後に、われわれを永遠に、あるいは無とされ、あるいは不幸となるという、恐ろしい必然のなかへ誤りなく置くのであるということは、そんなに気高い心を持たなくとも理解できるはずである(パンセ―以下同)

私たちが楽しみとしているものも、いつか必ず死によって崩れ去る。だから一切はむなしいのだと、パスカルは考えた。

「最後の幕は血で汚され」る。どんなに美しい生涯も例外ではない、と気づいた彼には、周囲が奇妙に映り始めた。

人々は、暇さえあれば球技やウサギ狩りに忙しい。踊ったり、歌ったり、様々な気晴らしに熱中して、万人に訪れる死を忘れている。

"何の恐れもなく、心配もなく生きようではないか。死は不確かなのだから、それを待つことにしよう。そして、われわれがいったいどうなるのかは、その時になればわかるだろう"

このように大衆は、なぜ考えられるのか。パスカルは首をひねり、死後を問題にしない人生を、

われわれは断崖(危険)が見えないように、何か目かくしをして平気でそのなかへ飛びこむ

と危ぶんだ。

100パーセント確実に未知の世界へ入っていく、底知れぬ不安をごまかしながら生きても、悲惨な末路は変わらない。

死すべき人間が幸福になるには、どうすればよいのか、彼は真剣に考えた。

この世においては来世を望むこと以外に幸福はなく、人はそれに近づくにしたがってのみ幸福であり、そしてその永遠について完全な確信を持っている人々にとってはもはや何の不幸も存在しないのと同じに、それについて何の光も持っていない人々にとっては何の幸福も存在しない

来世の幸せが保証されなければ、人間は幸福になりえない、と洞察したのである。

神の存在にかける

来世を考えた時、脳裏に浮かんだのは、神だった。神は本当に存在するのか。理性では決められぬと思ったパスカルは、この問題をギャンブルに置き換えた。

神に救いを願う者と、神を信じぬ者。地獄に落ちる確率はどちらが高いか。キリスト教しか知らなかった彼は、

もし地獄があった場合、後者はそこへ落ちるに決まっている。前者なら、まだ救われる可能性が残されている。ならば、信じたほうが得策だ

という心境を告白している。

私には、キリスト教をほんとうだと信じることによってまちがうよりも、まちがった上で、キリスト教がほんとうであることを発見するほうが、ずっと恐ろしい

科学には明晰な頭脳を働かせたパスカルだが、理性と信仰は完全に別物と割り切った。

「信仰の対象となるものは、理性の対象とはなりえない」という父の言葉に従って、「考える」ことを放棄したのである。

かくて病弱な体で修道院に入り、39歳で夭折する。

死後を知る必要性に気づきながら、その追究をあきらめた彼に解答が得られるはずもなく、臨終の床で、

神が決して私をお捨てにならないように

と、はかなく祈るしかなかったという。

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 人間は生まれながらの死刑囚/パスカル
 人間は考える葦である/パスカル

親鸞会のゆず