レフ・ニコライビッチ・
トルストイ
Leo Nikolayevitch Tolstoy,1828-1910

ロシアの小説家・思想家。人間の良心とキリスト教的愛を背景に、人道主義的文学を樹立。晩年、放浪の旅に出て、病死。小説「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」「復活」、戯曲「生ける屍」など。大トルストイ。杜翁。(大辞泉より)

生に酔いしれている間だけは生きても行けよう。が、さめてみれば、これらの一切が、ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!

レフ・トルストイ

トルストイは、ロシア中部の村に、広大な荘園を持つ伯爵家の四男として生を受けた。

小説を書き始めたのは、23歳の時である。雑誌に掲載された『幼年時代』は、おおむね好評だった。続けて発表した一連の戦記も熱狂的に読まれ、ツルゲーネフら文壇にも注目されるようになる。

宮廷医の娘・ソフィヤと結婚した34歳、トルストイは、幸福の絶頂にいた。

ぼくは34の年まで生きてきて、これほど人を愛し、これほど幸せになれるとは思ってもみませんでした。(略)自分に予定されていたのではない幸福を盗んできてしまったような感じをずっと抱いています(親戚への手紙)

翌年、長男が誕生し、こんな手紙も残している。

ぼくは自分の立場にすっかり満足している夫であり父親で、それに慣れてしまったので、自分の幸福を感じるためには、それがなかったらどうだろうと考えなければならないほどです。(略)ぼくは自分の知的な、そしてさらに道徳的な力のすべてが、これほど自由で、これほど仕事へと向かっているのを感じたことがありません。(略)ぼくは今、全身全霊、作家であり、まだこれまで一度も書いたり構想したりしたことがないほど、書いたり想を練ったりしているのです

『戦争と平和』の執筆は、こうして開始された。喜々として清書する妻に助けられ、幸せを絵にかいたような生活が続く。かの大作が世に出るや、彼は、押しも押されぬ大家となった。

突きつけられた難題

45歳で着手した『アンナ・カレーニナ』の連載は、読者を一層、くぎづけにする。しかし、トルストイはこの時期に、四男、五男、三女と2人のおばを相次いで失っている。人生への懐疑が、彼の心に暗い影を落とし始めた。

50歳過ぎに書いた『懺悔』に、胸中が吐露されている。

私の行く手に待ち構えているあの避け難い死によって滅せられない悠久の意義が、私の生活にあるだろうか?

これこそ、トルストイに突きつけられた深刻な問いだった。

きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば(すでにいままでもあったことだが)死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。(略)よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ―――これこそまさに驚くべきことではないか!生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、これらの一切が―――ごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!

自問自答して、さらに言う。

家族、つまり妻や子供達も、やはり人間である。彼らもやはり私と同じ条件の下に在るのだ。(略)一体なぜ彼らは生きなければならないのか?またこの私は何のために彼らを愛し、いたわり、はぐくみ育て、保護してやらなければならないのだろう?

精力を傾けてきた芸術すら、死の前には無価値だった。

よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピヤや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかも知れない。―――が、それがどうしたというんだ?

確実な未来を凝視した彼の世界は、無数の破片にひび割れ、一切が光を失ってしまう。

トルストイは真剣に、解答を探し求めた。だが、科学は人生問題を初めから無視していた。哲学は、ただ〈知らない〉と答えるのみ。

「人生は無意味」

と結論づけざるをえなかった。 

自分を欺こうとして

追い込まれたトルストイは、周囲を観察し、4とおりの生き方を知った。

第1は、〈無知無識の道〉。甲斐なき生と、知らずに生きる方法である。だが、既知の事実を、知らぬ昔には戻せない。

第2の〈快楽主義〉に身をゆだねても、死によって崩れ去るではないか。

〈自己の一命をたつ〉という第3の選択も実行できない。むしろ自殺への誘惑から逃れるため、身辺からひも類を隠し、鉄砲を携帯する狩猟をやめてしまったのである。

トルストイが選んだのは、第4の〈弱気〉の道だった。人生は無意味と知りながら、それを引き延ばす生き方である。死ぬ勇気もなく、煮え切らぬ毎日を送るのだ。〈俺にはすべてが終りをつげた〉と彼は、たびたび口走った。財産を放棄しようともする。

驚いたのは、妻ソフィヤだった。夫が狂ったとしか思えぬ彼女と、トルストイは衝突を繰り返し、56歳で最初の家出を試みる。しかし、臨月の妻を思い出し、悄然と引き返すのだった。その後も多年、妻から執拗なまでに監視され、家出の願望を抱き続ける。

深夜、ソフィヤに書斎へ忍び込まれた日、トルストイはついに家出を決行した。

3日後、旅先の寒駅アスターポヴォで悪寒がして途中下車、肺炎で苦しんだ末、駅長官舎で息絶えた。

世界的文豪の、孤独な最期だった。

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 人生は無意味な悪の連続である/トルストイ
 トルストイの結論と生きる目的の解明

親鸞会のゆず