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(写真:Wikipedia)
アンブローズ ビアス
Ambrose Gwinnett Bierce 1842-1914?

アメリカの作家、ジャーナリスト、コラムニスト。持ち前の正義感とペンの力で大鉄道会社の不正を未然に祖失するなど、華々しく活躍した。全盛期には彼を慕ってくる門下生が、3000人あったといわれる。

「幸福とは、他人の不幸を見てよろこぶ快感」

アンブローズ.ビアス

   19世紀のアメリカ。ジャーナリストとして、風刺と機知に富んだ社会批評で、アンブローズ・ビアスは一世を風靡した。
 新聞に断片的に掲載された箴言を後にまとめた『悪魔の辞典』は、1世紀を経た今日も読み継がれている。


 アメリカ東部オハイオ州で、貧しい開拓農民の10人きょうだいの末っ子に生まれる。
 しつけにうるさい両親に、反抗すると、すぐ体罰が加えられた。また、兄や姉ばかりがかわいがられているように感じ、「自分は、のけものではないか」という思いが、幼心に刻まれた。誕生は、「数ある災難の中で、最初に訪れる最も恐ろしい災難である」(悪魔の辞典)と書いている。
 高校を卒業後、親元を離れ、アルバイトで食いつなぎ、19歳の時、南北戦争が始まると、「奴隷制度廃止」という理想を抱き、志願して北軍に加わる。
 規律を重んじる習慣が身についていた彼にとって、軍隊生活は肌に合った。正確無比な地図を作成したり、身を挺して上官の危機を救うなど、数々の武勲を立てた。
 しかし一方で、部下を軽んじて無茶な作戦を立てる上官や、自分が無事に帰還することしか考えない将軍を見るにつけ、自分の理想が踏みにじられるのを感じた。
 22歳で除隊し、財務省に職を得ると、今度は汚職の横行である。彼は西部へ向かい、ゴールドラッシュで急激に発展していたサンフランシスコに、新天地を見いだすことにした。

「文筆界の解剖学者」

 警備員をしながら、文章修行を始め、新聞・雑誌に次々と投稿した。毒のきいた時事評論が人気を呼び、26歳で『ニューズ・レター』誌の編集長に躍り出る。政治家、役人、宗教家など、あらゆる分野の人の偽善を暴きたてる筆致はさえわたった。

「サンフランシスコの極悪人」とか「文筆界の解剖学者」と揶揄されながらも、部数を大いに伸ばし、ライバル誌にまで寄稿する健筆ぶりだった。
 一方で、他人の不完全さを許せない気難しさは、私生活を孤独にした。
 29歳で資産家の娘と結婚するが、3年後、義母との同居が始まると、平日は山小屋で寝泊まりし、週末だけ帰宅する生活になった。


「一時的な精神異常に二種類あって、一つは自殺に、いま一つは結婚に終わる」

 幼少期の恨みを引きずって、両親の葬式にも行かずじまい。長男は10代、次男は20代で夭折するなど、家庭には恵まれなかった。

 ジャーナリズムの大御所として長く君臨したが、筆の勢いも衰えてきた60代半ば、全集の編集に着手する。他の仕事を一切やめて没頭し、1年掛かりで完成した。
 友人たちに購入の予約を募ったところ、案に相違してごくわずかしか申込者はおらず、大いに落胆したという。


「友情とは、天気がよければ2人乗れるが、悪いと1人しか乗れない程度の大きさの船」(悪魔の辞典)

 全12巻の全集の発刊が完結し、ほっとした71歳、身辺の整理を済ませ、旅に出る。南北戦争の思い出深い南部を経て、革命さなかのメキシコに入り、消息を絶つ。合衆国政府も調査に乗り出したが、行方は、杳として分からなかった。

筒井版『悪魔の辞典』から(講談社)
花嫁 「幸せいっぱいの見通しが過去のものになった女」
政治 「主義主張の仮面を被った利害のぶつかり合い。
    私利私欲のためになされる公の行為」
電話 「悪魔の発明である。不愉快な人物を遠ざけておく
    便利さをいささか阻害するもの」
戦争 「平和のためのかけひきから生まれた副産物」
年  「三百六十五回の失望がやってくる周期」
喜び 「最も不愉快でない形の落胆」
歩行者「自動車から見れば、動き回り(しかも声まで出す)、
    道路の一部。

アンブロース・ビアス 青空文庫

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親鸞会のゆず