「幸福とは、他人の不幸を見てよろこぶ快感」
アンブローズ.ビアス
19世紀のアメリカ。ジャーナリストとして、風刺と機知に富んだ社会批評で、アンブローズ・ビアスは一世を風靡した。
新聞に断片的に掲載された箴言を後にまとめた『悪魔の辞典』は、1世紀を経た今日も読み継がれている。
アメリカ東部オハイオ州で、貧しい開拓農民の10人きょうだいの末っ子に生まれる。
しつけにうるさい両親に、反抗すると、すぐ体罰が加えられた。また、兄や姉ばかりがかわいがられているように感じ、「自分は、のけものではないか」という思いが、幼心に刻まれた。誕生は、「数ある災難の中で、最初に訪れる最も恐ろしい災難である」(悪魔の辞典)と書いている。
高校を卒業後、親元を離れ、アルバイトで食いつなぎ、19歳の時、南北戦争が始まると、「奴隷制度廃止」という理想を抱き、志願して北軍に加わる。
規律を重んじる習慣が身についていた彼にとって、軍隊生活は肌に合った。正確無比な地図を作成したり、身を挺して上官の危機を救うなど、数々の武勲を立てた。
しかし一方で、部下を軽んじて無茶な作戦を立てる上官や、自分が無事に帰還することしか考えない将軍を見るにつけ、自分の理想が踏みにじられるのを感じた。
22歳で除隊し、財務省に職を得ると、今度は汚職の横行である。彼は西部へ向かい、ゴールドラッシュで急激に発展していたサンフランシスコに、新天地を見いだすことにした。
「文筆界の解剖学者」
警備員をしながら、文章修行を始め、新聞・雑誌に次々と投稿した。毒のきいた時事評論が人気を呼び、26歳で『ニューズ・レター』誌の編集長に躍り出る。政治家、役人、宗教家など、あらゆる分野の人の偽善を暴きたてる筆致はさえわたった。
「サンフランシスコの極悪人」とか「文筆界の解剖学者」と揶揄されながらも、部数を大いに伸ばし、ライバル誌にまで寄稿する健筆ぶりだった。
一方で、他人の不完全さを許せない気難しさは、私生活を孤独にした。
29歳で資産家の娘と結婚するが、3年後、義母との同居が始まると、平日は山小屋で寝泊まりし、週末だけ帰宅する生活になった。
「一時的な精神異常に二種類あって、一つは自殺に、いま一つは結婚に終わる」
幼少期の恨みを引きずって、両親の葬式にも行かずじまい。長男は10代、次男は20代で夭折するなど、家庭には恵まれなかった。
ジャーナリズムの大御所として長く君臨したが、筆の勢いも衰えてきた60代半ば、全集の編集に着手する。他の仕事を一切やめて没頭し、1年掛かりで完成した。
友人たちに購入の予約を募ったところ、案に相違してごくわずかしか申込者はおらず、大いに落胆したという。
「友情とは、天気がよければ2人乗れるが、悪いと1人しか乗れない程度の大きさの船」(悪魔の辞典)
全12巻の全集の発刊が完結し、ほっとした71歳、身辺の整理を済ませ、旅に出る。南北戦争の思い出深い南部を経て、革命さなかのメキシコに入り、消息を絶つ。合衆国政府も調査に乗り出したが、行方は、杳として分からなかった。
筒井版『悪魔の辞典』から(講談社)
花嫁 「幸せいっぱいの見通しが過去のものになった女」
政治 「主義主張の仮面を被った利害のぶつかり合い。
私利私欲のためになされる公の行為」
電話 「悪魔の発明である。不愉快な人物を遠ざけておく
便利さをいささか阻害するもの」
戦争 「平和のためのかけひきから生まれた副産物」
年 「三百六十五回の失望がやってくる周期」
喜び 「最も不愉快でない形の落胆」
歩行者「自動車から見れば、動き回り(しかも声まで出す)、
道路の一部。
アンブロース・ビアス 青空文庫
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