フョードル・
ドストエフスキー
Fyodor Mikhailovich Dostoevskii,1821-1881

ロシアの小説家。19世紀後半の無神論的風潮の中で、神の問題を中心に人間存在の根本問題を独自の対話的方法で検討し、20世紀文学に大きな可能性を開示した。代表作「地下室の手記」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」など。 (大辞林より)

もっとも残酷な刑罰は、『徹底的に無益で無意味』な労働をさせることだ

フョードル・ドストエフスキー

1821年、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーは、軍医の次男としてモスクワに生まれた。

21歳でペテルブルグの陸軍兵学校を卒業し、工兵局で働いたが、1年後、「ジャガイモのようにあきあき」して退職する。

翌年、完成したのが、小説『貧しき人々』である。この処女作は、「新しいゴーゴリの出現だ!」などと絶賛を受けた。

しかし続く『二重人格』『白夜』は痛罵される。

文学サロンで嘲笑を浴び続けたドストエフスキーは、空想的社会主義者の集まりであるペトラシェフスキー会へ接近し、27歳のとき、会員一同とともに逮捕された。 専制君主制を維持するための弾圧だった。

8ヵ月後の年末、彼を含む20人の会員は、錬兵場に引き出され、死刑を宣告される。

ところが射撃の直前、処刑は中止された。皇帝の慈悲を見せびらかすために仕組まれた芝居だったのだ。

だが、死を目前にした数分の間に、最初に引き出された3人のうち1人は発狂し、1人は髪が真っ白になった。

ドストエフスキーも、

これ以上ひどい苦しみはこの世にないでしょう。

と後に作中で語っている。


サンクトペテルブルグ(Wikipedia)

シベリアの獄中体験

減刑され、シベリアでの懲役生活が始まった。その体験から、

もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ、

と出獄後、『死の家の記録』に書いている。

監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を塗らせたり、畑を耕させたりした。強制された苦役であっても、その仕事には目的があった。働けば食料が生産され、家が建ってゆく。

自分の働く意味を見出せるから、苦しくとも耐えてゆける。立派に仕上げようという気さえ起こす。

ところが、たとえば、水をひとつの桶から他の桶に移し、またそれをもとの桶にもどすとか、砂を搗くとか、土の山を1つの場所からほかの場所へ移し、またそれをもとにもどすとかいう作業をさせたら、

囚人はおそらく、4、5日もしたら首をくくってしまうだろう

と記している。

囚人たちはさらに、内緒で道具を持ち込み、仕事も始めた。何も知らぬ囚人が習い覚え、出獄時には、一人前の職人になっているほどだった。

そこには長靴屋もいれば短靴屋もおり、仕立屋でも、指物師でも、金銀細工師でも、彫物師でも、塗金師でも、何でもいた。 (略)働いて、1コペイカ二コペイカの目腐れ金を稼いでいた。注文も町から来るのであった。(略)もし仕事がなかったならば、囚人たちはビンの中に入れられた蜘蛛のように、お互い同士殺しあったに違いない。

彼らは金を持っていることに満足し、時には酒すら手に入れていた。不時の捜査で、禁制の品が没収されても、捜査がすむとまた道具を補充し、元通りに仕事を始めるのだった。

囚人たちはこうして監獄の生活に意味づけしていたと言う。

生涯苦しんだ神の問題

刑期を終え、 38歳でペテルブルグに帰ったドストエフスキーは、『死の家の記録』『虐げられた人々』を発表し、再び人気を集めた。

浪費癖と賭博熱で借金にあえぎながらも、職業作家として数々の作品を著したのである。

『罪と罰』で、文壇の地位は確固たるものとなり、59歳でなくなるまでに、名声は世界的に高まってゆく。

かれは、生の意味をキリスト教に求めようとした。神の救済があれば、苦しくとも生きる意味があるからだ。

もし神が存在するなら、神の正義がこの地上を支配し、善悪に正しい報いがあるはず。しかし、現実は全く違う。

それでもなお、神を信じ続けるか、あるいは存在を否定するか・・・。編集者への手紙の中では、

神の存在の問題こそ自分が生涯にわたって、意識的にも、無意識的にも、苦しんできたところのものである

と告白している。

最後の小説『カラマーゾフの兄弟』には、こう記した。

僕にはこんな問題を解く能力は少しもない。神はありやなしや?なんてことだ。すべてこんな問題は、3次元の理解力しかない人間の頭には、全く荷が重すぎることなんだ。

彼はまた、キリスト教が間違いだと証明され、真理でなかったとしても、信じるほうを望むとさえ書いた。

何のために生きるのかと言う確固たる意識がなければ、そのまわりにたとえパンの山を積まれても、人間は…この地上にとどまるよりは、むしろ自殺の道を選ぶに違いない。(カラマーゾフの兄弟)

と記したように、目的の必要性を痛切に感じていたドストエフスキーは、虚偽でもいい、神を信じ、生きる意味があると思い込まずしては、人生の「終わりなき苦しみ」に耐えられなかったのだろう。

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 全人類のウソ/ドストエフスキー

親鸞会のゆず