[幸福になりたいという]この願望とこの愛(エロス)とは万人に共通なものであり、またすべての人は善きものを永遠に所有することを願う。
プラトン
イギリスの哲学者・ホワイトヘッドの、
西洋哲学の歴史は、要するにプラトン哲学に対する一連の脚注(解説書)に過ぎない
という言葉は、よく知られている。哲学のあらゆる問題は、すでにプラトンによって論じ尽くされているといって過言ではない。
プラトンは、ソクラテスの弟子だった。
2人が生きた古代ギリシャのアテナイは、ペルシャ戦争(前5世紀初頭)に勝利した後、政治、経済、文化の中心地として栄えていた。が、前431年、スパルタとの間にペロポネソス戦争が起き、長い混乱の時代に入る。
政治は退廃し、「ソフィスト(知者)」と呼ばれる、弁論術の教師がはびこるようになっていた。白を黒と言いくるめる巧みな話術が、出世の近道だったからである。
そんな彼らにソクラテスは鋭い質問を浴びせ、「知者」の無知を、ことごとく暴いていった。
「無知の知」
ある時、ソクラテスの友人カイレフォンが、デルフォイの神殿で、次のような神託を受けたという。
ソクラテス(Wikipedia)
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「アテナイで最高の賢者は、ソクラテスである」
それを伝え聞いたソクラテスは戸惑った。自分がいちばんの知者だとは、とても信じられない。
そこで彼は、世間で「知者」といわれている人の元を訪ねて対話し、実際に自分より賢い人がいることを証明しようと考えた。
ところが、話をしてみると、「知者」と呼ばれるソフィストや政治家たちも、実は何も知らないことが分かってきたのである。
例えば相手が、「Aさんは優れた市民だ」と話すと、ソクラテスは、「優れた市民とはどんな人か」と問う。なぜならば、ソクラテスの問いに答えられなければ、Aさんが該当するかどうか、判断はできないからである。
そうして問い詰めていくと、相手の主張はどこかで矛盾し、やがて答えに窮してしまうのだった。
ソクラテスは思い至る。
何も知らない点では共通だが、私は『自分が知らないということを知っている』という点で、その自覚のない彼らより賢いのだ
有名な「無知の知」である。
かくてソクラテスは、対話を通して、自分の無知を悟り、知識を求める大切さを青年たちに説いたのである。
しかしソクラテスは、市囲の知者たちを訪ねては、その無知性を暴き出したが故に、「知者」を自認する多くの人々反感を買い、やがて裁判にかけられ死刑の判決を受ける。
71歳のソクラテスが、毒ニンジンをあおり刑死した時、プラトンは29歳。若きプラトンにとって、最も敬愛する師の刑死は、許し難いものだった。
彼は、在りし日のソクラテスを後世に伝え、堕落したアテナイ社会に報いようと、次々に著作を編み出していったのである。
『ソクラテスの弁明』『パイドン』『饗宴』『国家』など、プラトンの作品は、ソクラテスを主人公とする対話篇≠ナある。
ジャック・ルイ・ダヴィッド(1787)「ソクラテスの死」(Wikipeda)
不朽の名作『饗宴』
中でも、最も広く読まれているのが、エロス(愛)をテーマとした『饗宴』だ。これは、プラトンの文学的才能と、哲学的な探究が一体となって生み出された、不朽の名作といわれる。
その『饗宴』でプラトンは、
[幸福になりたいという]この願望とこの愛(エロス)とは万人に共通なものであり、またすべての人は善きものを永遠に所有することを願う。
と書き、「万人共通の人生の目的は、永遠の幸福である」ことが見事に論じられている。
だが、人生の目的が成就した「永遠の幸福」とは、どんな世界なのか──。プラトン後、2400年を経過しても、西洋哲学は、その答えを知りえない。
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西洋哲学批判
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