死は、突然にしかやって来ないといってもよい。(略)
人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である
岸本英夫
死の苦しみの深刻なワナ
がんと闘って10年、東大・宗教学教授の岸本英夫氏は、死はまさに、突然襲ってくる暴力だと、闘病記に残している。
* *
明治36年、岸本氏は、兵庫県明石に生まれた。宗教学者だった父親の影響で、『ヨーガスートラ』を研究し、東大で学位を受ける。宗教学助教授を経て、昭和22年には教授となった。
がんの宣告を受けたのは昭和29年、スタンフォード大学の客員教授として、米国滞在中だった。
あごの下にできたしこりを、念のために摘出したあと、病院を訪れた時である。体調を尋ねられた岸本氏は、
「パーフェクト(完全)で、どこも何ともない」
と答えた。すると、医師は、
「これ(摘出したしこり)が、単純なリンパ線の腫脹だと、問題はなかったのですが、増殖性のものだったので……」
と言う。岸本氏はハッとした。
「もしや、がんでも……」
不安は的中し、余命半年を告げられたのである。
働き盛りの51歳。「結婚以来、一度も病気らしい病気もせず、丈夫な体と強い精神の持ち主だった」と三世夫人が述懐する岸本氏にとって、まさに寝耳に水だった。少し前までの「冗談でも言えそうなゆったりした」気分がうそのように、心は異様に緊張し、「全く別人のような気持ち」になっていたという。
胸中を闘病記に書いている。
「死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。(略)
死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気でやってくる。ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。
しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である」 (『死を見つめる心』)
昼間は、まだよかった。夜、自分の部屋で一人になると、激しい緊迫感に襲われた。心はたぎり立ち、たけり狂った。全身が、手足の細胞の末にいたるまで、必死で抵抗しているのを感じた。生への執着が、いかに激しいかを思い知ったのである。
「私は、そのころ、始終、戦時中の空襲のことを思い出していた。敵機が近づくと、あの空襲警報のぶきみなサイレンが鳴った。それを聞くと、心がギュッと緊迫した。
癌の場合、ある意味では、空襲警報より、もっと始末が悪かった。空襲警報の場合は、警報解除ということがあった。しかし、今度の癌とのたたかいにあっては、それがない。朝から晩まで、心は、緊張のしつづけである。私の内心は、絶え間ない血みどろのたたかいの連続であった」 (『同』抜粋)
3週間後、日本から駆けつけた夫人に見守られ、大手術が行われた。がんの発見された左こめかみのアザだけでなく、転移しうる周辺組織を最大限取り去る。火事場の破壊消防に似た対処がなされた。
「あなたの体には、がんの細胞は残っていないと確信する。あなたは、もう一度、生きていくことができたのだ」
術後の医師の言葉を、氏は夢心地で聞いた。スタンフォードの教授らが次々に訪れて祝福する。三世さんは、日本にいる息子たちに、
「ガンクイトメタ」
と電報を打った。
手負いのイノシシ
平穏な日々が再び破られたのは、その4年後である。
海外での講演旅行中、左耳の上に黒いイボを発見した岸本氏は、手術を施した米国の医師を訪ねた。
「これは、どうしても摘出しなければなりません」
という診断に、「心の中に真っ黒な夕立雲が、にわかに拡がりはじめた」。
すぐに手術が行われた。無事、摘出したものの、がんがいつ活発に動きだして命を落とすか、もはや予断は許されない。
岸本氏は、こうも書いている。
「死の苦しみについて、人々が、まず思うのは、死にいたるまでの肉体的な苦しみである。高い熱がいつまでも続く。胸が、しめつけられるように苦しい。呼吸が困難になる。そして、ついに、断末魔の苦しみが来る。口からはあわを吹き、大小便を垂れ流して、あえぎながら、最後の息を引きとる。思っても、ぞっとすることである。
そこで、死にいたるまでの病の苦しみさえなければと、人々は考える。しかし、問題は、それほど単純ではない。死の苦しみの中には、もっともっと、深刻なワナがかくされている。
肉体的な病気の苦しみは、かりにそれが苦しくても、それは、死にいたるまでのことである。死そのもののもたらす精神的な苦しみは、別のものである。
死自体を実感することのもたらす精神的な苦しみが、いかに強烈なものであるか、これは、知らない人が多い。いな、むしろ、平生は、それを知らないでいられるからこそ、人間は幸福に生きていられるのである。しかし、死に直面したときには、そうはいかない」 (『同』抜粋)
この死の脅威に立ち向かうには、どうしたらよいか。岸本氏は、さらに言う。
「生命飢餓状態におかれた人間が、ワナワナしそうな膝がしらを抑えて、一生懸命に頑張りながら、観念的な生死観に求めるものは何であるか。何か、この直接的なはげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力にならうようなものがありはしないかということである。それに役立たないような考え方や観念の組立ては、すべて無用の長物である」 (同)
学者として、世界のあらゆる宗教を検証してきたはずだが、すべて無用の長物≠ノしか映らなかった。
「おそろしいのは、死後の世界の有無がわからないままに無理にあると言い聞かせて自分を慰めようとし、あるかないかで煩悶することだと気づき、あてにならぬことはあてにはしまい」と決めた。そして、手負いのイノシシ≠フごとく働き、死の不安から逃れようとしたのである。
その後も左顎部にがんは頻発し、手術を重ねながら、昭和35年には、東大図書館長の職務を引き受けている。朝食は机で仕事をしながら済ませ、昼食も夕食も、ほとんど家で摂らなかった。仕事に自己を追い込み、死から目を背けていたが、
「手術をしましょう」
と言われるたびに、全身から血の気が引く。死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて迫ってきた。
がむしゃらに働くだけではだめだ、と悩んでいた時、がんに冒された某大学創立者の告別の辞に触れ、「死は別れの時」という考え方に共鳴する。人間は、心の準備をして、小さな別れに堪える。死も準備しておけばよいと考え、心を落ち着かせようとした。
しかし、死には、行く手が分からない別れ≠ニいう深刻さがある。
「生命を断ち切られるということは、もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
それが、人間の肉体的生命の終りであることは、たしかである。
呼吸はとまり、心臓は停止する。(略)しかし、生命体としての人間を構成しているものは、単に、生理的な肉体だけではない。すくなくとも、生きている間は、人間は、精神的な個と考えるのが常識である。生きている現在においては、自分というものの意識がある。『この自分』というものがあるのである。そこで問題は、『この自分』は、死後どうなるかという点に集中してくる。これが人間にとっての大問題となる」(同)
自ら進んでだまされる
昭和36年秋、岸本氏は
米国で、がん治療の権威に診察してもらう機会を得た。その博士は言った。
「珍しいケースです。あなたのがんは、繰り返し出てくるが、そのつど、早く切り取れば、長く生きられるでしょう」
岸本氏はすぐに、日本へ電報を打った。
I can live long
(私は長生きができる!)
そして、がんに冒されて以来、日に何度も患部を映していた懐中鏡を使うことも忘れ、死の恐怖から解放されていった。
その後も、がんは相変わらず皮膚に顔を出し、切除は繰り返されたが、
「先日切り取ったがん細胞は良性でした」
という医師の言葉に、ますます安心した。
しかし、がんが表面に現れなくなっていた昭和38年、ついに脳へ転移し、死の床に就く。
「患者は、医者の『まだ、大丈夫です』という言葉に自ら進んでだまされているうちに、死んでゆく」と、自身が指摘していたように、失意のうちに、60年の生涯を閉じた。
『死を見つめる心』にこう書いてある。
「死の問題は、どうしても解かねばならない問題として、人間のひとりひとりに対して、くりかえしくりかえし提起される。どうしても解かなければならないけれども、どうしても解くことができない。これは、永遠のなぞとして、永久に、人間の上に残るであろう」
○見かけの幸福
人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、傷つきやすい、みかけの幸福である場合が、多いようであります。それが、本当に力強い幸福であるかどうかは、それを、死に直面した場合にたたせてみると、はっきりいたします。
たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、たしかに、幸福をつくり出している要素であります。また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、容貌の美しさというような個人的条件も、幸福をつくり出している要素であります。これが、人間の幸福にとって、重要な要素であることは、まちがいはないのであります。だからこそ、みんなは、富や美貌にあこがれるのでありまして、それは、もっともなことであります。しかし、もし、そうした外側の要素だけに、たよりきった心持でいると、その幸福は、やぶれやすいのであります。そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、それが、はっきり、出てまいります。今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、色あせたものになってしまいます。お金では、命は、買えない。社会的地位は、死後の問題に、答えてはくれないのであります。
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死を見つめる心−ガンとたたかった十年間
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